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城めぐりで参考にしている城郭本・歴史本を紹介するブログです 管理人のコレクション自慢というか散財の記録ともいえます(笑)
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watasitatinosagamihara.jpg私たちの相模原
相模原市教育委員会
昭和56年4月 初版
価格 不明
329ページ

じつはこの本、中学社会科の教材なのです(笑)
中学生の教材といってもバカにできませんよ
かなり難しい内容です
相模原の中学では高度な教育を行っていたのですね

中世に関しては
●矢部氏、藍原氏、田名氏、小山氏など市内に拠点を構えた武士と横山党について
●矢部氏館の土塁の写真が掲載されています
●淵野辺氏と護良親王について
●市内の板碑の分布
●太田道灌に滅ぼされた磯部城(略図つき)
●後北条氏の相模原支配について

近世では
●内藤清成と青山忠成について
近代では
●市内の陸軍施設について

この教材を作成した方、マニアックすぎませんか(笑)
大人の私がかなり参考になりました(笑)
相模原郷土誌を学ぶのにこれほど適した本はないでしょう

八王子市の大型古書店にて100円で売られていました
この本を教材コーナーでなく歴史コーナーの棚に並べてくれた店員さんに感謝です


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watasinokamakura1.jpg私の鎌倉
私の鎌倉編集室 発行
月刊誌
定価310円

私が神奈川県藤沢市に住んでいる頃は週末のたびに鎌倉へ遊びに行きました
もちろん武士の都・鎌倉に点在する史跡を訪ね歩く為です
駅や書店、観光地の売店などで売られており当時は鎌倉市内でよく見かける雑誌だったので史跡めぐりの途中でよく購入したものです
鎌倉の史跡や歴史が紹介されるガイドブック的なもので四季折々の花で彩られる寺院なども紹介されておりバスの待ち時間や歩きくたびれた際にベンチに座りこんで楽しく読ませてもらいました
もう5年くらい鎌倉に行っていないので現在も発売されているのかわかりませんが今でも売っていることを願います

三浦氏と宝治合戦に関連する史跡についてや源頼朝義経と鎌倉といった記事が掲載されていました
毎号付録としてついてくる「鎌倉絵図」は私のお気に入りでした
市内の史跡がたくさん記載され観光Mapとしても使用できました

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miuraitizoku.jpg三浦一族 ~その興亡と歴史~
三浦市教育委員会・三浦市観光協会 発行
上杉孝良 著
平成8年3月 発刊
値段 不明
128ページ

平安末期から戦国初期にかけて三浦半島を活躍した三浦一族の歴史と史跡、伝承をまとめた1冊です
この本が発刊された当時は三浦市を中心に『三浦一族ブーム』ともいえる現象が起こっていたそうです
地元の方々が郷土の歴史に興味を持つことはとても良いことですね
史跡の整備や地域に眠っていた伝承の発見や紹介にもつながりますね

私は源平合戦オタクなので三浦義明和田義盛佐原義連にはとても興味をもっています
彼らの城館跡も訪れたことがありますが明確な遺構は確認できません
それでも雰囲気がよかったのを憶えています
本書では歴代当主、有力支族についてかなり詳しく紹介されております
新井城の考察はとても参考になりました

私が藤沢市に住んでいるときは休日ごとに鎌倉や三浦半島の史跡めぐりをしていました
この本はその最中に立ち寄った鎌倉市内の古書店で1500円で購入しました


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mannfukuji.jpg満福寺
~義経ゆかりの寺~
かまくら春秋社
平成17年10月
定価600円

源義経ゆかりの寺です
告げ口により頼朝から敬遠され鎌倉入りすることができずに
腰越の満福寺に宿陣してその無念さを書状に認めます
それが有名な「腰越状」ですね
この後しばらくして奥州にて無念の最後をむかえます

そして義経の首実検が行われたのもこのお寺なのです
死後も鎌倉入りを拒むとは頼朝さんの徹底振りには驚きますね

平成17年は大河ドラマの影響で源義経さんが大ブームでした
満福寺にもたくさんの観光客が訪れていました
当時、藤沢市辻堂に住んでいた私はよくこの寺を訪れては
義経の生涯を描いた襖絵を見学しておりました
弁慶の腰掛石、義経の供養塔など決して広くはない境内に所狭しと置かれています

本書は満福寺の魅力(義経ゆかりの寺として)、
腰越状についての簡単な考察などが掲載されています
満福寺にて購入しました

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ebinanotimei.jpg海老名の地名
~海老名市史叢書7~
海老名市
平成10年3月
1000円

海老名市は中世以前、平安期に国分寺が置けれた場所として知られ古くから繁栄してきた場所です
平安期から鎌倉期には海老名氏とその一族、渋谷氏の一族が市内各所に館を構えていました
市内の館跡については「城郭大系」に詳しく記されていますが館跡や周辺に伝わる地名も含めて
勉強してみようと思いまして海老名の文化会館に特設された資料館にて購入しました

現在に伝わる市内の地名にもかつて城館の所在を臭わせる字がいくつも確認できます
これは文献、地誌に記述がなく伝承に乏しいものでとても・・氏館、・・氏屋敷と断定できるものではありませんが私にとっては興味深いものであります
地名だけで推定すると市内には確認されている数の倍は城館が所在したと考えられます
実際に現地に赴いて調べる可能性はないでしょうがこの本を参考に地図を見て「ココには館があったんだな~」など考えてみるのも面白いものですよ

「内出」という地名は群馬県などでは城郭地名として知られていますが海老名においては単なる地形からくる地名として説明されていることに驚きました

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